出版

赤本漫画の出版社の規模はどれぐらいだったか?

戦後の漫画文化を支えたのは、

大手出版社ではなく、

赤本漫画を出していた「にわか」な業者です。

「にわか」と書きました。

もともと出版社ではないところが、

儲かると知って赤本を作ったのです。





多かったのが、印刷屋やおもちゃ屋です。

漫画家だけではなく、紙芝居を描いていた人をつかい、

書かせたといいます。

竹内オサムの「戦後マンガ50年史」に、

「週刊朝日」の1949年4月24日号からの引用が載っています。

「こういうヤミの発行所は全国に二千五百とも三千とも言われるが、~」

ヤミというのも、すごい表現です。

おもちゃ屋が一冊本を出して、それでおしまい、

というのがこれだけの数、あったというのは驚きです。

「このうち、曲がりなりにも数冊以上出版しているのは東京に六十軒、大阪に二十軒、その他あわせても百軒とは上らない。」

「大てい裏長屋か二階の間借り、表札を並べているのは良いほうで、社員の二、三人も使っているのは全国でまず十軒というところ」

とあります。

これだけの数の赤本漫画を出版する会社があったので、

最大で100冊以上が発売された月もありました。

その質も玉石混淆だったといいますが、

手塚治虫の「新宝島」のような、

日本の漫画シーンを変えてしまうほど

インパクトのある作品も生まれたのです。

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