出版

赤本マンガの東京と大阪の違いについて

藤子不二雄や赤塚不二夫、石ノ森章太郎にも影響をあたえた

手塚治虫の「新宝島」は、赤本マンガです。

赤本マンガは、東京と大阪で違いがありました。

竹内オサムの「戦後マンガ50年史」に記載があります。





1949年の「週刊朝日」に、取次業をやっている「沢田」という人が

登場し、赤本業界について語っています。

大阪の赤本マンガは、

「造本・内容ともに東京と比べると粗悪」

でした。

東京と大阪の比較について、沢田の証言をまとめます。

紙について

大阪が東京とくらべて「粗悪」と言われた理由は、

紙不足時代だったため、その用紙の割り当てにあります。

出版文化普及協会が割り当てをしていましたが、

大阪の出版社には割り当てが少なかったのです。

それでも紙が必要なので、

大阪の版元は「紙質の悪い一種の再生紙である仙花紙」を

つかったのです。

内容について

東京の赤本マンガの内容は上品で、

大阪とくらべると「幼稚」だったというのです。

マンガを読む年齢が小学3、4年生なのに、

東京は2、3年生を対象にした内容で、

売れ行きも大阪の赤本マンガが勝ったといいます。

本の体裁も、売れ行きに影響しました。

東京のものは、「赤本であっても表紙は体裁をつけて高級らしくみせかける」のです。

大阪は「表紙に必要以上に赤を使った毒々しさがある」のです。

貸本屋という、ちょっと薄暗いアンダーグラウンドな

雰囲気が漂う空間で、子どもたちがどちらを魅力的に感じるか。

大阪に軍配があがるでしょう。

売れた赤本

手塚治虫の「新宝島」が40万部売れた、

というのはその真贋もあわせて有名なはなしです。

その他には、赤本ではない大手出版社の作品もありますが、

「少年王者」(山川惣治、集英社)が50万部、

「黄金バット」(永松健夫・明々社)20万部、

「ターザンの冒険」(横井福次郎、光文社)10万部

などが売れたと書かれています。

赤本マンガについては、こちらのブログもご覧ください。

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