トキワ荘の漫画家

漫画少年の学童社が倒産したときのトキワ荘の漫画家たち 赤塚不二夫 寺田ヒロオ 石ノ森章太郎 手塚治虫

「漫画少年」の投稿欄から、おおくの漫画家が生まれました。

藤子不二雄のふたり、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、

そして新漫画党の党首・寺田ヒロオさん。

もっとたくさんいます。

学童社の倒産は1955(昭和30)年9月でした。

それぞれの漫画家が、どのように倒産をむかえたのか、

ということを書いていきます。





寺田ヒロオさん

テラさんは既にトキワ荘に住んでいました。

藤子不二雄Aさんの「まんが道」はかんぺきな

ノンフィクションではないので、時系列が

すこしずれています。

トキワ荘に住んでいた漫画家メンバーは12名います。

実際に、入居していた時期です。

「手塚治虫」1953初頭~1954/10

「寺田ヒロオ」1953/12/31~1957/6/20

「藤子・F・不二雄」1954/10/30~1961/10

「藤子不二雄A」1954/10/30~1961/10

「鈴木伸一」1955/9/2~1956/6/1

「森安なおや」1956/2~1956末

「石ノ森章太郎」1956/5/4~1961末

「赤塚不二夫」1956/5/4~1961/10

「よこたとくお」1958~1961

「水野英子」1958/3~1958/10

「山内ジョージ」1960/9~1962/3

「向さすけ」1981~1982

学童社が倒産の時は、寺さん、藤子不二雄の二人、鈴木伸一さんしか

住んでいなかったのです。

テラさんは、「漫画少年」の仕事にどっぷりと

つかっていました。

「漫画少年」だけで食べていました。

ただ、原稿料は遅配が続いていました。

倒産した時に支払ってもらっていなかった額は、

15万円です。

大卒の初任給が10,000円の時代です。

給与所得者の平均年収が20万円でした。

すごい額です。

当然、テラさんも原稿料を取りにいきます。

「『漫画少年』と赤本マンガ」(清水勲・刀水書房)に記載があります。

「倒産後の学童社を訪ねると残務整理中の経理担当Nがいた。

寺田はNに一五万円の支払いの目途をきくと『おれを信用

しないのか』とどなられる。

その後、もう一度支払いの目途をNに聞きにいくとNに

「おれだって困っているんだ」といわれる。

寺田はその言葉を聞いてもう支払いは駄目だとあきらめるようになる。」

テラさんにとって、学童社の倒産は絶望的なものだったのです。

他の出版社とはつながりのなかったテラさんですが、

「野球少年」の尚文館(現在の芳文社)から仕事の依頼がきます。

尚文館は、学童社の創業者・加藤謙一さんが、

講談社を辞めたあとに手伝った出版社です。

加藤謙一さんの推薦があったのでしょう。

テラさんは「野球少年」で「背番号0」を描き、

人気漫画家になっていくのです。

赤塚不二夫さん、石ノ森章太郎さん

赤塚不二夫さんの単行本デビューは1956(昭和31)年。

曙出版からだした「嵐をこえて」です。

寄稿家として学童社のある満州会館には、

行ったことがありました。

倒産を聞いた赤塚さんは、長谷邦夫さんと一緒に

満州会館に急ぎました。

返品の「漫画少年」の山でした。

ごちゃごちゃになった部屋の中から、

石ノ森章太郎さんが連載していた「二級天使」の

原稿を探してかき集めました。

石ノ森章太郎さんは、高校生でした。

連載をもっていましたが、故郷の宮城県に住んでいました。

手塚治虫さんの生原稿もちらばっていたと、

赤塚不二夫さんはいっています。

のどから手が出るお宝ですが、

手は出さなかったのです。

原稿がどうなったのか、気になります。

手塚治虫さん

「火の鳥」を「漫画少年」で連載していました。

ただ、原稿料もしっかりと払われない状況で、

原稿の入稿も遅れがちでした。

手塚治虫の原稿の遅れが、「漫画少年」の発売の遅れにも

つながり(雑誌の発売が遅延するのは考えられないことです)、

連載を1955年5月号で休載します。

「漫画少年」の核となる「火の鳥」の休載が、

学童社の倒産をはやめたのかもしれません。

まとめ

漫画少年の廃刊、つまり学童社の倒産は漫画家志望者に

大きなショックをあたえました。

10,000部も作っていなかったといわれていますが、

その部数以上に大きな事件でした。

15万円を失った寺田ヒロオさんも、学童社をうらんでいません。

後に、漫画少年の火を消さないように

『「漫画少年」史』という本を、自費出版しました。

国会図書館にも3冊しかない「漫画少年」を、

資料として残しておこうとしたのです。

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