劇画

貸本時代の漫画家の原稿料 劇画を命名した辰巳ヨシヒロ

貸本の原稿料については、かなり安いというイメージがあります。

水木しげるさんが「ゲゲゲの女房」で貧乏しているイメージが強いこともあるでしょう。

辰巳ヨシヒロさんが原稿料をどれだけもらっていたか、自伝的漫画(劇画)「劇画漂流(上)」で取り上げられています。





辰巳ヨシヒロさんは1935年(昭和10)6月10日生まれです。

子どもの頃から漫画を描き、はじめは雑誌の懸賞に応募していました。

朝日新聞社の「家庭朝日」の昭和28年(1953)1月1日号で、「サザエさん」の長谷川町子さんが選者である「主婦の描いたコマ漫画」の懸賞がありました。

辰巳ヨシヒロさんは妹の名前(辰巳ミチ子)で応募し、入賞しました。

賞金は3,000円です。

大卒初任給が9,000円程度の時ですので、かなり高額です。

「劇画漂流」の一コマで、この金額を知った辰巳ヨシヒロさんの父親が「賞金3千円とはごっついやんか」と言っています。

これは懸賞ですが、デビュー後の原稿料について書いていきます。

1954年(昭和29)年に「こどもじま」(鶴書房)から単行本でデビューします。

辰巳さんが19歳の時です。

原稿料は15,000円。

この金額をみた父親のコメントは「大卒初任給の二ヵ月分や」です。

辰巳ヨシヒロさんと、兄の桜井昌一さんが驚いて震えています。

その後、日の丸文庫の八興から続々と貸本単行本を出版していきます。

原稿料は人気が出てくるしたがってにアップしていきます。

日の丸文庫一作目の「七つの顔」(1954年)では10,000円。

二作目「13の眼」(1954年)は15,000円。

七作目の「33の足跡」では25,000円まで上がったのです!

日の丸文庫の原稿料が格別高いわけではありません。

「七つの顔」の原稿は、八興に持ち込む前に、榎本法令館と研文社という出版社にみせていました。

結果、八興で出版することになりますが、榎本法令館の原稿料は15,000円、研文社は12,000円だったのです。

研文社は、はじめの提示額は12,000円でしたが、原稿を描き上げて持参すると、8,000円に値切られてしまうということもありました。

ちなみに、1954年に出版された辰巳ヨシヒロの単行本は9冊です。

水木しげるさんは、出版社の原稿料の支払いが悪く、生活に苦しんでいる描写が多かったですが、辰巳ヨシヒロさんの「劇画漂流」ではそのような場面はありませんでした。

当時の原稿料について、他にも資料が出てきたら追記していきます。





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