漫画家の石ノ森章太郎さんは、「サイボーグ009」や「仮面ライダー」、ドラマにもなった「ホテル」などで有名です。
本名は小野寺章太郎ですが、出身が宮城県登米郡石森町であることから、石ノ森章太郎というペンネームをつけました。
1938年(昭和13)1月25日に生まれ、1998年(平成10)1月28日に60歳の若さで亡くなられました。
石ノ森章太郎のお姉さんは、漫画家として大成する石ノ森さんに大きな影響を与えたといいます。
そして美人として、藤子不二雄Aさんの「まんが道」などで描かれています。
お姉さんは22歳の若さで亡くなられましたが、病気と死因についても書いていきます。
石ノ森章太郎さんの姉「小野寺由恵」さんは美人です

石ノ森章太郎さんのお姉さんの名前は、小野寺由恵(よしえ)さんです。
その美しさのエピソードは、「まんが道」で描かれています。
当時、石ノ森章太郎さんや赤塚不二夫さん、藤子不二雄のふたりは、トキワ荘という東京都豊島区の同じアパートに住んでいました。
昭和20~30年代ですので、四畳半一間、台所や便所は共同でした。もちろんお風呂もありません。
ある日、藤子・F・不二雄さんこと藤本弘さんが台所に行くと、美人の女性がいるのでびっくりします。
すぐに同じ部屋に一緒に住む、藤子不二雄Aこと安孫子素雄さんのもとに行き、美人がいるから台所に見に行け! と言ったほどです。
二人は、石ノ森章太郎さんのお姉さんが宮城県から上京することは聞いていました。
藤子不二雄Aさん曰く、「石ノ森はジャガイモみたいな顔だから」と、お姉さんがまさか美人だとは想像していなかったのです。
小野寺由恵さんが宮城県から上京した理由は、石ノ森章太郎さんの世話をすることです。
漫画家として売れ始めてきており、徹夜が2、3日続くことが当たり前の生活だったの、料理や洗濯、掃除をするために上京したのです。
四畳半の一間で石ノ森章太郎さんと赤塚不二夫さんが漫画を描き、お姉さんは料理の世話などをしました。
お姉さんも四畳半一間で一緒に暮らし、寝るのも部屋の隅だったのです。
過保護にも思えますが、藤子不二雄Aさんのお姉さんも同じ理由で上京し、同居したのです。
当時としては、長男の世話をお姉さんがするのは、違和感のなかったことなのかもしれません。
小野寺由恵さんは、石ノ森章太郎さんが漫画家としてやっていけるのかを、とても心配していました。
そして藤子不二雄Aさんに質問に行きました。
石ノ森章太郎は漫画家としてやっていけるのか? という内容です。
藤子不二雄Aさんは「石ノ森は天才だから大丈夫」と答えたそうです。
実際、当時の漫画家仲間の間でも石ノ森章太郎さんの才能は別格として見られていました。
石ノ森章太郎さんのお姉さんの病気と死因について
小野寺由恵さんは、喘息でした。
かなりひどい喘息だったことがわかるエピソードがあります。
小野寺由恵さんが藤子不二雄Aさんに恋心を抱きました。
そのことを石ノ森章太郎さんに相談します。
そこで石ノ森章太郎さんは「そんなことより、まずは病気を治せと」言ったといいます。
つまりそれだけ重い喘息だったのでしょう。
ただ、喘息で亡くなったわけではありません。
喘息がの発作がひどく病院に運ばれた際に、発作を抑えるために医者がモルヒネを打ちました。
モルヒネの投与が過剰で、心臓発作で亡くなったのです。
22歳の若さでした。
23歳の誕生日の前日でした。
小野寺由恵さんが病院に運ばれたとき、石ノ森章太郎さんは映画を見に行っていました。
漫画の勉強のために映画を観に行っていましたが、お姉さんが病院に運ばれたことを伝えたのは赤塚不二夫さんでした。
石ノ森章太郎さんはお姉さんの死からなかなか立ち直れず、当時多くあった連載をやめました。
そして出版社からお金を借りて世界一周に行ったのです。
当時は海外旅行に自由に行ける時代ではありません。
石ノ森章太郎さんは出版社の集英社の取材記者ということでシアトルのSF大会にでかけ、そのまま世界一周に70日間も行ったのです!
【まとめ】
・お姉さんの美人さは、藤子不二雄のふたりも驚いたほど
・お姉さんは重い喘息持ちだった
・お姉さんの死因は喘息の発作を抑えるためのモルヒネの過剰投与による心臓発作