出版基礎知識

モンキー・パンチさん 出身と本名は? ルパンが生まれた理由も

「ルパン三世」の作者のモンキー・パンチさんが

2019年4月11日に亡くなりました。81歳でした。

横文字の名前とアメリカっぽい絵柄から、

モンキー・パンチさんは外国の方、と思われていることもあるようです。

著名な漫画家で、「ルパン三世」も年に一度は必ず、テレビのゴールデンタイムに

放送されますが、作者ご本人はあまりテレビに出ることもなく、謎が多いです。

そんなモンキー・パンチさんを追います。





モンキー・パンチは二人いる!? 日本人なの!?

本名は加藤一彦(かずひこ)さんで、正真正銘の日本人です。

昭和12年生まれで、両親が外国人というわけでもありません。

いろいろなサイトで、モンキー・パンチは二人いる、

という風にも書かれていますが、一人です。

モンキー・パンチの「弟」

モンキー・パンチさんには弟がいます。昭和14年生まれの加藤輝彦さんです。

アシスタントとして兄のモンキー・パンチさんを手伝っていたので、

二人説が広まっていったようです。

ちなみに、弟の加藤輝彦さんはお兄さんより商業誌デビューは早く、

昭和40年前後に「週刊少年マガジン」で連載の経験があるようです。

ただ、あまり人気は得られず、10回で打ち切りとなってしまいました。

けど、マガジンに連載をしたっていうことは、

かなりの実力者ということに間違いありません。

モンキー・パンチさんの出身地 東京まで二日間!?

出身地は北海道の霧多布(きりたっぷ)というところです。

あまり聞いたことがない地名ですよね。釧路空港から、車で2時間近くかかる、港町です。

飛行機と車を使えば、東京まで4時間ぐらいで着きますが、

モンキー・パンチさんが10代で上京した当時は、とてつもない時間がかかりました。

飛行機がない当時は、まず汽車で霧多布から函館まで丸一日かかります。

北海道を東から西まで横断するのです。現在でも8時間ぐらいかかります。

函館からは青函連絡船に乗り青森へ。青森から汽車で東京へ…

計二日間以上もかかるところなのです。

北海道の地理にピンとこない人もいると思いますが、

函館から札幌まで、現在でも汽車で3時間以上かかります。

それほど北海道は広大なのです

本当は「モンキー・パンチ」じゃなかった?

日本人なのにモンキー・パンチ。

この名前を昭和40年代に使うというのは、かなり勇気のいったことでしょう。

今なら歌手の方とかが英語の名前でバンドを組むのが普通ですが、

当時は奇抜だったと思います。

モンキー・パンチより以前の名前

なんでこんな名前なの? と誰もが思う疑問です。

名付け親は、モンキー・パンチを発掘し、商業誌でデビューさせた恩人、

双葉社の清水文人編集長です。

清水編集長に発掘され、デビュー作は「漫画ストーリー」(現在は廃刊)という雑誌に

掲載されました。

デビューから数作は「マニア・ぐるうぷ」というペンネームで書いていました。

しかも、マニア・ぐるうぷの後に3人の名前が書かれていたのです。

それは、ムタ栄二 フジノリヲ 摩周仙二の3つの名前です。

本当に3人で漫画を書いていたのではなく、

誰が書いているのか分からなくしてしまおう、という

モンキー・パンチさんの思いだったようです。

モンキー・パンチの由来

「ルパン三世」の絵柄は今見てもアメリカのコミック、という感じがして

独特ですが、当時(昭和40年代)は衝撃的な絵だったようです。

そんな衝撃的な、アメリカ感が満載の画風を活かすために、

清水編集長が「モンキー・パンチ」という名前を考えたのです。

「パンチ」は風刺画、という意味ですが、「モンキー」の由来は

明らかになっていません。

ただ、この名前を付けたことによって、「ルパン三世」の世界観を

読む人が勝手に増幅しているように思います。

「ルパン三世」が生まれた理由

モンキー・パンチさんがこの名前を受け入れた理由は

明らかになっていませんが、絵柄が衝撃的だったゆえ、

双葉社の清水編集長以外の人は、モンキー・パンチさんの

才能を見いだせていなかったようです。

モンキー・パンチさんの大きな理解者である清水編集長がいたからこそ、

手塚治虫さんチックか、さいとうたかおさん(ゴルゴ13)チックな劇画が

主流だった当時に、「ルパン三世」が世に出ることができたのです。

 

 

「ルパン三世」は著者のモンキー・パンチさんが亡くなられても

テレビで放映され、人気を博しています。

これからもルパンのファンが増えていくことでしょう。