トキワ荘の漫画家

漫画が移籍する理由│佐藤秀峰の例とマガジンからサンデーに移籍した手塚治虫「W3事件」についても

雑誌に連載される漫画が、出版社を超えて他の雑誌に移籍するということがあります。

原稿料の問題や、編集者との軋轢など、さまざまな理由がありますが、漫画家にとって出版社を敵に回すことになりますので、よっぽどの理由です。

出版社側からみても、人気作品が移籍してしまえば、雑誌の部数を大きく下げる原因となってしまいます。

漫画が出版社を超えて移籍する理由を追います。

また、日本初の週刊の少年漫画雑誌である「週刊少年マガジン」と「週刊少年サンデー」を舞台にも、移籍事件が起こりました。

両誌は同じ日に創刊しました。

1959年(昭和34)の創刊以来、講談社と小学館という、日本でも最も大きい出版社の2社が真っ向面から勝負をしていたので、考えられないような事件が起こりました。

いまも語り継がれる、手塚治虫さんの「W3事件」事件についても追っていきます。





漫画が出版社を超えて移籍する理由│佐藤秀峰さん「ブラックジャックによろしく」

ここ数年で最も話題となった移籍は、佐藤秀峰さんの「ブラックジャックによろしく」です。

講談社の「モーニング」で2002年から2005年まで連載され、単行本は13巻まで出て1,000万部を超える大ヒット作でした。

2003年にTBS系で妻夫木聡さん主演で連続ドラマ化もされました。

2002には第6回 文化庁メディア芸術祭マンガ部門で優秀賞を受賞しています。

講談社にとっては金のなる木でした。

ところが佐藤秀峰さんと講談社で確執があり、連載は小学館の「ビッグコミックスピリッツ」に移籍したのです。

移籍の端緒は、講談社側が原稿を勝手にいじったことによります。

佐藤秀峰さんに断らずにセリフを変更し、登場人物の名前も無断で変更されることがあったのです。

また、医療マンガなので監修者がいますが、その方の名前が9回目の連載から佐藤秀峰さんの許可なく、掲載されていました。

さらに、「ブラックジャックによろしく」の二次利用を、これも佐藤秀峰さんに無断で許可していたのです。

このような確執があるなか、佐藤秀峰さんは原稿料の値上げを講談社に求めます。

当時の原稿料は一ページにつき23,000円でした。

この額が高いか低いかは、漫画を描くのにどれだけコストがかかるかによります。

佐藤秀峰さんの人件費だけでなく、アシスタントのスタッフの給料や資料代、仕事場を借りる家賃もかかります。

これらをひっくるめると、原稿料だけでは赤字だったのです。

佐藤秀峰さんが原稿費の値上げを求めたからと言って、講談社側も簡単に上げることはありません。

そこで佐藤秀峰さんは講談社に、モーニングの作家の原稿料の提出を要求しました。

そこから分かったことは、モーニングの連載作家の原稿料の平均が31,680円ということです。

ドラマ化もし、大きな賞を受賞している佐藤秀峰さんの原稿料より高かったのです。

この事実を知った佐藤秀峰さんは、「ブラックジャックによろしく」を一時、休載します。

この休載をきっかけに、原稿料は33,000円にアップし、連載を再開しました。

ただこの後も事件は起きます。

佐藤秀峰さんの口座に、講談社から覚えのない300万円以上の金額が振り込まれたのです。

この金額は、韓国の出版社が「ブラックジャックによろしく」を出版した二次使用の代金だったのです。

佐藤秀峰さんは二次使用を許可していませんでした。

この件で佐藤秀峰さんの講談社に対する不信感は頂点に達し、再度、休載をします。

休載期間中、佐藤秀峰さんは講談社の編集者を頼らず、ご自身で取材活動を行いました。

出版社、そして編集者の役割として、著者が原稿を描くうえで取材が必要な場合など、代わりに取材申し込みをしたりすることなどがあります。

大出版社の取材は受ける団体や業界も、漫画家個人の名前では取材を受けない場合も多々あります。

出版が衰退産業とはいえ、出版社のネームバリューはまだまだ大きいです。

取材を自ら行って「ブラックジャックによろしく」の原稿を描いていた佐藤秀峰さんは、講談社に原稿料のアップと、単行本の印税のスライド制(例えば、単行本が10万部を超えたら印税を+1%アップする等)を交渉しました。

しかし、交渉は決裂しました。

そして10か月後、講談社のモーニングから舞台を移しました。

小学館の「ビッグコミックスピリッツ」です。

タイトルも「新ブラックジャックによろしく」となりました。

原稿料は35,000円に上がり、連載一話につき15万円の企画料も勝ち取りました。

そして、印税もスライド制となり、通常10%のところ、100万部を超えたら11%となったのです。

佐藤秀峰さんは、漫画家の中でトップ中のトップです。

その佐藤秀峰さんですら、連載の原稿料では赤字なのです。

出版業界、漫画業界はいまも大きくは変わっていません。

佐藤秀峰さんのような、漫画の移籍は今後も起こることでしょう。

マガジンからサンデーに移籍した手塚治虫「W3事件」

マガジンでの連載が1965年(昭和40)13号からはじめた「W3」(ワンダースリー)は、6回で連載が唐突に終わりました。

漫画の神様である手塚治虫の作品が突如、連載していた雑誌から消えたので、ファンは驚きました。

驚きはこれだけではありません。

「W3」が一部設定を変え、サンデーでの連載が始まったのです。

この事件の背景を、手塚治虫さんご本人やスタッフ、編集者と多くの方が語っています。

手塚治虫さんの経営する虫プロダクションが、「ナンバー7」という手塚さんの漫画のアニメ化企画を進めていました。

企画途中で、「ナンバー7」に登場予定のキャラクターが、他社のテレビアニメの企画のキャラクターとそっくりだということがわかりました。

他社の企画は「宇宙少年ソラン」という、TBS系で放送されたアニメです。

スポンサーは森永製菓、一社でした。

手塚治虫さんは、虫プロダクション内にスパイがいると考えました。

無理もありません。

当時はアニメの草創期なので、アニメを作れる人も多くなく、虫プロダクションの社員も「宇宙少年ソラン」にかかわっていたのです。

そして実際に、虫プロダクションの豊田有恒さんは、「宇宙少年ソラン」の脚本を書いていたこともあり、解雇されてしまいました。

「ナンバー7」のアニメ化の話はなくなり、「W3」という新しい作品を手塚治虫さん、虫プロダクションが作成してアニメ化を進めていくのです。

アニメが始まるのに先行して、マガジンで「W3」の連載が始まりました。

マガジンとサンデーは同じ日に創刊しましたが、手塚治虫さんはサンデーでのみ連載をしていました。

マガジンは手塚治虫さんの連載が欲しかったので、念願が叶ったのです!

ここで事件が起こります。

手塚治虫さんにとって因縁の「宇宙少年ソラン」の連載が、マガジンで始まったのです。

アニメの「宇宙少年ソラン」は森永製菓の一社提供ですが、森永はマガジンにも広告を出稿していました。

漫画雑誌はファッション系の雑誌と違い、ほとんど広告が入りません。

ですので、講談社にとって森永は重要な顧客です。

手塚治虫さんは講談社に、「宇宙少年ソラン」の連載を辞めるように申し入れます。

しかし講談社は首を縦に振りませんでした。

ちょうどこの時期、サンデーに手塚治虫さんの連載はありませんでした。

まさに「W3」で手塚治虫さんが講談社に抗議をしている時、サンデーの小西湧之編集長が手塚治虫さんに連載を依頼に行きます。

ここで手塚治虫さんは、「W3」のマガジンからサンデーへの移籍を打診するのです。

小学館も簡単に了承できる話ではありませんが、結局、「W3」を途中からサンデーで始めるのではなく、一話目から書き直しもらうことを条件に連載が始まったのです。

手塚治虫さんの作品が次にマガジンに載るのは、「W3」事件から約10年後の1974年(昭和49)の「三つ目がとおる」の連載まで待たなければなりません。

移籍事件は大きな禍根を残したのです。

まとめ

・漫画の移籍の理由は、原稿料や編集者との軋轢がほどんど

・佐藤秀峰さんは出版社の横暴や原稿料だけでは赤字の現状を訴えた

・手塚治虫さんの「W3事件」はスポンサーも絡む話