トキワ荘の漫画家

藤子不二雄Aは奥さんは誰?年齢と写真も掲載!子供についても

「オバケのQ太郎」や「忍者ハットリくん」「プロゴルファー猿」で知られる藤子不二雄Aさんこと安孫子素雄さん。

奥さんが病に倒れたことを「妻たおれ夫オロオロ日記」(中公文庫、絶版)で書いていますが、奥さんが誰なのか? ということはあまり知られていません。

子どもはいるのか? 奥さんの写真や年齢についても追っていきます。

藤子不二雄Aさんの奥さんは社長令嬢でアシスタント、年齢についても

藤子不二雄Aさんは1966年(昭和41)5月24日に東京ヒルトンホテルで結婚式をあげました。

媒酌人は、藤子不二雄Aさんが神と崇め、漫画家を目指すきっかけをつくってくれた手塚治虫さんです。

藤子不二雄Aさんが32歳の時です。

奥さんの名前は「猪目和代」さんで、年齢は2歳下です。

奥さんの生年月日はわかりませんが、お二人ともご存命な2019年現在、藤子不二雄Aさんは85歳、奥さんは83歳です。

共立女子大学の英文科を卒業され、日本舞踊の名取でもあります。

静岡県の会社の社長のご令嬢という話もあります。

出会いのきっかけは、藤子不二雄Aさんが売れっ子になってきたことにあります。

藤子不二雄が二人のコンビだった時代の最初のヒット作は、「オバケのQ太郎」です。

連載の開始は、1964年(昭和39)1月22日に発売の「週刊少年サンデー」(1964年6号)です。

「忍者ハットリくん」の連載も1964年から開始しており、多忙を極めてきました。

アシスタントが必要と感じた藤子不二雄Aさんは、小林秀美(挿絵画家)さんに相談にいき、猪目和代さんを紹介されました。

はじめて会ったのは喫茶店で、一目見て「結婚したい」と感じたようです!

実際にアシスタントを務めたかは、わかっていません。

周囲にも独身主義を喧伝していた藤子不二雄Aさんは、交際は明らかにしていませんでした。

交際期間は約3年間で、隠密裏にお付き合いされていたようです。

結婚後は多忙を極める漫画家の妻として、夫の健康を支える姿が、藤子不二雄Aさんのコミックエッセイにも書かれています。

藤子不二雄Aさんは偏食で、肉と野菜が食べられません。

生まれがお寺で幼少期に精進料理を食べていたので、肉や魚を受け付けない体質になってしまったのです。

奥さんは毎日、藤子不二雄Aさんのお弁当を、肉と野菜を入れずに作っていたのです。

懸命に夫を支える奥さんが倒れてしまいます。

1985年(昭和60)12月31日、大みそかのことでした。

脳出血で倒れ、左半身の麻痺と失語症を患ってしまったのです。

それでもリハビリを続け、旅行や船旅に行く姿が、コミックエッセイに出てきます。

藤子不二雄Aさんのお弁当も、右手だけで作り続けました。

藤子不二雄Aさんが80歳を超えても連載を持ち続けて仕事ができているのは、奥さんが体調管理をしてくれているお陰と、ご本人もおしゃっています。

藤子不二雄Aさんのまわりの有名な漫画家の多くが、若くして亡くなっています。

漫画家は徹夜が何日も続き、編集者にもはりつかれます。

肉体的なつらさだけでなく、精神的にも締切の度に追い込まれます。

相方の藤子・F・不二雄さんが亡くなられたのは62歳、手塚治虫さんと石ノ森章太郎さん60歳です。

藤子不二雄Aさんの奥さんの写真

奥さんの写真はあまり出ていませんが、昔の雑誌に掲載されています。

とてもきれいなお方ですね!

藤子不二雄Aさんに子供はいません

お子さんはいらっしゃいません。

お二人は旅行を楽しんでらっしゃる場面がコミックエッセイによく出てきますので、夫婦生活を満喫してらっしゃるのでしょう。

寝台特急カシオペアに乗って札幌旅行をしたり、豪華客船の飛鳥での旅もされています。

藤子不二雄Aさんは家庭的な一面もありますが、大失敗もしています。

結婚前に奥さんと約束したのは、毎日遅くなっても必ず家に帰る、ということでした。

漫画家は締め切りが近くなると、徹夜で作業があるのです。

この約束は新婚旅行から帰宅してすぐ、破られました。

10日間連続で、仕事場に泊まり込むことになってしまったのです。

売れっ子漫画家が新婚旅行に行くのは、スケジュール的に厳しかったのでしょう。

藤子不二雄Aさんが神と崇める手塚治虫さんは、ご自身の結婚式の控室でも原稿を描いていたというエピソードがあります。

まとめ

・藤子不二雄Aさんは奥さんとは紹介で知り合いました

・奥さんは2歳年下で、共立女子大学の英文科卒業

・奥さんは病気で左半身が麻痺してもお弁当を作り続けた

・お二人にお子さんはいらっしゃいません