トキワ荘の漫画家

「おそ松さん」の赤塚不二夫の代表作は?壮絶なトキワ荘時代についても

テレビアニメの3期目の放映が2019年冬に決定し、ますます人気の「おそ松さん」。

原作の「おそ松くん」を描いた故・赤塚不二夫さんに、再度注目が集まっています。

赤塚不二夫さんは「ギャグ漫画の王様」と呼ばれ、テレビにも頻繁に出ている人でした。

赤塚不二夫さんの代表作と、下積み時代のトキワ荘での生活について、トキワ荘研究家の上原龍一が追っていきます。





「おそ松さん」の赤塚不二夫の代表作

赤塚不二夫さんは読み切り漫画を含めると、生涯で500作品以上を描いています。

その中でも、当時の子どもなら誰でも知っている作品が4つあります。

4作品ともアニメ化されています。

赤塚不二夫の代表作「おそ松くん」

六つ子や「シェー」のイヤミ、チビ太やハタ坊が生み出された作品です。

主要な連載誌は「週刊少年サンデー」(小学館、1962年16号~1967年33号)です。

人気作品ゆえ、小学館の学年誌や、他の出版社の雑誌でも連載や読み切りが掲載されました。

2回目のアニメ化の際は、講談社の「コミックボンボン」(1987年11月号~1990年3月号)や「テレビマガジン」(1988年2月号~1990年1月号)に連載されました。

初めての連載開始から、40年近くも人気だったのです。

2回、アニメ化されていますが、再放送は数えきれないほどです。

映画化と実写ドラマ化も1回あります。

アニメ1回目:1966年2月5日~1967年3月25日(毎日放送)
アニメ2回目:1988年2月13日~1989年12月30日(フジテレビ)

映画:「おそ松くん スイカの星からこんにちはザンス!」(公開1989年3月18日、東映)

実写ドラマ:「おそ松くん イヤミ・チビ太の板前一本勝負」(放送1985年12月16日)
出演は、中山秀征さん、所ジョージさん、竹中直人さん、田代まさしさん等、かなり豪華です。

赤塚不二夫の代表作「ひみつのアッコちゃん」

少女漫画なのにギャグの要素があり、男の子でも楽しめた作品です。

連載は主に3回に分かれています。

1回目は「りぼん」(集英社、1962年6月号~1965年9月号)です。

2回目も「りぼん」(集英社、1968年11月号~1969年12月号)ですが、今回はアニメ化に合わせたもので、ほとんどが2回目の連載のリメイクでした。

3回目は、ほぼ20年ぶりの連載で、舞台は「なかよし」(講談社、1988年10月号~1989年9月号)で、2回目のアニメ化によって連載を開始したのです。

アニメ化は3回、映画化2回(テレビアニメの映画化は除く)、実写ドラマ化1回、実写映画化1回です。

アニメ1回目:1969年1月6日~1970年10月26日(テレビ朝日)
アニメ2回目:1988年10月9日~1989年12月24日(フジテレビ)
アニメ3回目:1998年4月5日~1999年2月28日(フジテレビ)

映画1回目:「ひみつのアッコちゃん」(公開1989年3月18日)
映画2回目:「ひみつのアッコちゃん 海だ! おばけだ!! 夏祭り」(公開1989年7月15日)

実写ドラマ:「ひみつのアッコちゃん 伊豆の踊子物語」(放送1987年2月9日、フジテレビ)
本木雅弘さんやもたいまさこさんが出演しています。

実写映画:「映画 ひみつのアッコちゃん」(公開2012年9月1日、松竹)
主演は綾瀬はるかさんです。
岡田将生さんや谷原章介さん、吹石一恵さん、大御所のもたいまさこさん(ドラマにも出演)、鹿賀丈史さん、香川照之さんも出演する豪華メンバーです。

赤塚不二夫の代表作「もーれつア太郎」

「おそ松くん」や「天才バカボン」に知名度で負けますが、その人気は負けていませんでした。

一時期、「週刊少年サンデー」で「おそ松くん」と「もーれつア太郎」の2作が同時に連載されました。

「おそ松くん」は月1回、「もーれつア太郎」は毎週の連載でしたが、当初は「おそ松くん」の方が読者アンケートで人気でした。

しかし、ア太郎だけでなく、デコッ八やニャロメ、ココロのボスなどの人気キャラクターの登場により、「おそ松くん」を抜いて人気1位となったのです。

連載は主に2回です。

連載1回目:「週刊少年サンデー」(小学館、1967年48号~1970年27号)
連載2回目:「コミックボンボン」(講談社、1990年4月号~1991年1月号)

アニメ化2回、テレビドラマ化1回です。

アニメ1回目:1969年4月4日~1970年12月25日(NET系(テレビ朝日の旧称))
アニメ2回目:1990年4月21日~1990年12月22日(テレビ朝日系)

実写ドラマ:「もーれつア太郎 ニャロメ!!出生の秘密を知ったとき少女に何が起こったのココロ!?」(1985年5月20日
、フジテレビ系)出演者は久保田篤さん、荻野目洋子さん、石倉三郎さんです。

赤塚不二夫の代表作「天才バカボン」

赤塚不二夫さんの代表作の中でも、もっとも人気のある作品です。

バカボン一家はバカボン、バカボンのパパ、バカボンのママ、バカボンの弟のハジメの4人です。

個性あふれるキャラクターが印象深いです。

レレレのおじさんや目玉がつながっている本官さん、ウナギイヌといったキャラクターも「天才バカボン」から生み出されたのです。

連載途中に掲載されている雑誌が変わるなど、出版業界を揺るがすような事件もあった作品でした。

「週刊少年マガジン」(講談社)で連載が始まりました。

1967年から1969年まで約3年間連載していましたが、「週刊少年サンデー」(小学館)に移籍してしまいます。

移籍の理由について、当時の編集者や赤塚不二夫さんのブレーンの漫画家さんたちが語っています。

さまざまなことが語られていますが、一般的に言われているのは以下の理由です。

小学館で赤塚不二夫さん担当の編集者・武居俊樹さんが引き抜いたのです。

武居俊樹さんは赤塚不二夫さんの漫画に「武居記者」として出てくる、有名な方です。

赤塚不二夫さんからの信頼が厚かったのです。

赤塚不二夫さんが動くにはきっかけが必要です。

サンデーが創刊10周年記念で、赤塚不二夫さんに編集権を託す80ページを、毎号用意したのです。

赤塚不二夫さんがその80ページに、自らの作品を掲載したいから「天才バカボン」の移籍を、という筋書きです。

講談社の了承も取り付けてサンデーに移籍した「天才バカボン」は、結局、小学館で描かれたのは一年間もありませんでした。

1971年には講談社の「週刊ぼくらマガジン」に移籍し、同誌の休刊を期に、マガジンに戻ったのです。

マガジンでは1973年まで約2年間、連載をし、その後は講談社の「月刊テレビマガジン」や「コミックボンボン」などで掲載されました。

スピンオフ版の「天才バカボンのおやじ」を実業之日本社の「週刊漫画サンデー」に連載したり、読み切りで「グランドチャンピオン」(1994年、秋田書店)や「週刊プレイボーイ」(1994年、集英社)にも掲載されました。

実に約30年、様々な雑誌に掲載され続けたのです。

テレビアニメ化は5回、テレビドラマ化3回、映画化1回です。

アニメ1回目:「天才バカボン」1971年9月25日~1972年6月24日(よみうりテレビ)
アニメ2回目:「元祖天才バカボン」1975年10月6日~1977年9月26日(日本テレビ)
アニメ3回目:「平成天才バカボン」1990年1月6日~12月29日(フジテレビ)
アニメ4回目:「レレレの天才バカボン」1999年10月19日~2000年3月21日(テレビ東京)
アニメ5回目:「深夜!天才バカボン」2018年7月11日~9月26日(テレビ東京)

実写ドラマ1回目:「天才バカボン〜家族の絆」2016年3月11日(日本テレビ)
実写ドラマ2回目:「天才バカボン2」2017年1月6日(日本テレビ)
実写ドラマ3回目:「天才バカボン3〜愛と青春のバカ田大学」(日本テレビ)
バカボンやバカボンのパパを誰が演じるのか興味深いですが、バカボンのパパは上田晋也さん(くりぃむしちゅー)、バカボンはおかずクラブのオカリナさんでした。バカボンのママは松下奈緒さん、レレレのおじさんは小日向文世さんです笑

赤塚不二夫の壮絶なトキワ荘時代

本名は赤塚藤雄で、1935年(昭和10)9月14日に満州国で生まれました。

終戦後は母親の実家の奈良県に住み、父親がシベリア抑留から帰国すると新潟県で暮らしました。

中学卒業後に、新潟で映画の看板を描く会社に就職します。

1953年頃には上京し、江戸川区の薬品工場で勤務を始めます。

漫画は手塚治虫さんの影響を受けて小学生時代から描き始めました。

「漫画少年」(学童社)という雑誌の投稿欄への投稿を続け、その欄で異彩を放っていた石ノ森章太郎さんが主宰するグループに属します。

そのグループは東日本漫画研究会といい、石ノ森章太郎さんは宮城県在住でしたが、東京のメンバーに長谷邦夫さんやよこたとくおさんといった、後に仲間として共同執筆する漫画家もいました。

東日本漫画研究会の活動として、「墨汁一滴」という肉筆の回覧誌をメンバーで作成したりもしていました。

またこの頃、プロとして漫画を出版していたつげ義春さんとも出会い、出版社の曙出版を紹介してもらっています。

曙出版で「嵐をこえて」という少女漫画を描きおろしの単行本で出すことができ、実質のデビュー作となったのです。

1956年(昭和31)6月、赤塚不二夫さん20歳の時でした。

この年、3歳年下の石ノ森章太郎さんが上京し、トキワ荘に入居しました。

トキワ荘には手塚治虫さん(既に退去)、寺田ヒロオさん、藤子不二雄の二人が住んでいました。

上京前から「漫画少年」で連載を持っていた石ノ森章太郎さんの部屋に居候する形で、入居がスタートしました。

赤塚不二夫さんは石ノ森章太郎さんのアシスタントとしての仕事しかほとんどなく、経済的に困窮していきます。

後に赤塚さんは、キャベツに塩をかけたのしか食べられなかった、と語っています。

また、赤塚不二夫さんはギャグ漫画を描きたかったのですが、当時は各社の編集者が少女漫画しか依頼してこないことに悩んでいました。

ギャグ漫画というジャンルも、確立されていなかったのです。

ほとんど仕事の依頼もなく、ついにお金が全くなくなった赤塚不二夫さんは、キャバレーのボーイになることを決め、藤子不二雄の安孫子素雄さんに話しました。

安孫子素雄さんは、寺田ヒロオさんに相談したほうがいい、と伝えました。

寺田ヒロオさんは5万円(資料によっては3万円)を赤塚不二夫さんに、返済期限は無しで貸してくれたのです。

5万円がなくなるまで、漫画家をやってみろ、まだ諦めるな、ということです。

当時の5万円は、トキワ荘の家賃3,000円を払っても半年は暮らせる金額でした。

そしてこの半年の間に、赤塚不二夫さんに大きな転機が訪れます。

秋田書店が出している「まんが王」をという雑誌に、空きが出ました。

ちばてつやさんの原稿が載らなくなってしまったのです。

「まんが王」の編集者が、石ノ森章太郎さんに6ページを書いてくれと頼みに来ました。

しかし石ノ森章太郎さんは忙しく、編集者に赤塚不二雄さんを推薦したのです。

締め切りまで時間がなかったので、中身は何でもいいという風に編集者は赤塚不二雄さんに言いました。

赤塚さんはここで思い切って、念願のギャグを描きました。

「ナマちゃんのにちよう日」タイトルです。

1958年11月号の「まんが王」に掲載されたました。

掲載された雑誌をみて赤塚さんは驚きました。

なんと「連載」と描かれていたのです。

編集部が面白さを認め、赤塚さんに断ることなく連載にしたのです!

初の連載獲得以降、ギャグ漫画家として徐々に認められていき、数々の名作を描いていったのです。

トキワ荘に入ってからは、年下の石ノ森章太郎さんの部屋に同居して食事や映画も奢ってもらい、寺田ヒロオさんが貸してくれたお金に救われたのです。

キャベツしか食べられない生活から、仲間に助けられたトキワ荘時代でした。

【まとめ】

・代表作は「おそ松くん」「天才バカボン」「もーれつア太郎」「ひみつのアッコちゃん」

・4作とも複数回、アニメ化されている

・トキワ荘時代は生活に困窮し、漫画家を諦めたことも