劇画

「ゴルゴ13」さいとう・たかをの理容師時代から劇画貸本デビューまで

1968年から「ビッグコミック」(小学館)で連載の「ゴルゴ13」。

作者のさいとう・たかをさんは、

漫画家になる前は理容師をしていました。

ハードボイルドなさいとう・たかを先生が理容師?

とおどろく人も多いでしょう。

自伝に書かれています。

理容師時代から、貸本漫画家としてデビューするまでを紹介します。





理容師になったきっかけ

さいとう・たかをさんは、みずから理容師の道を選んだのではありません。

「お袋の決めた進路」

だったのです。

中学卒業後、大阪整容美術専門学校に入学します。

まとも勉強をしなかったので、

卒業は半年おくれました。

それでも卒業後は、お姉さんと一緒に理容店を開店しました。

「商売はそこそこ繁盛」し、ひいきのお客もできました。

「贔屓の客ができると仕事にも張りができ、それなりの喜びもあった。」

理容師があまり多い時代ではなかったので、

他の店からの助っ人の要請もあったようです。

腕もよかったのでしょう。

ただ、ひとつだけ弱点がありました。

ひげ剃りにつかうカミソリが怖かったというのです。

ゴルゴを描く、さいとう・たかをさんからは想像がつかない

ナイーブな一面です。

「剃刀を持ったとたん緊張してしまうのである」

「そのうちに慣れるはず、そう自分に言い聞かせもしたが、とうとう慣れずじまいだった」

というから、相当なものだったのでしょう。

まんがの腕

絵を描く技術は、高かったようです。

進駐軍を相手に、枕絵(春画)を描いて売っていたのです。

その値段がびっくりします。

大卒の初任給が6,000円の時代に、

枕絵10枚セットで60,000円で売っていたのです。

儲けたお金の使い方は、さいとう・たかをさんにぴったりです笑

「稼いだ金を懐に京都のお茶屋に繰り出し、それこそ飲めや歌えやのドンチャン騒ぎをしたこともあった」

京都のお茶屋とは、花街にあって芸妓を呼んで飲食をするお店です。

若者がいくところではないです。

ハードボイルドなさいとう・たかをさんのエピソードです。

貸し本デビューまで

自分の店のほかにも、助っ人まで要請される理容師時代。

忙しい中でも漫画家を目指そうと決めたのは、

貸本屋向けの単行本がでてきてからです。

中学生時代に「漫画少年」(学童社)に投稿したこともありました。

結果はさんざんで、

「手塚治虫先生に悪い見本として取り上げられ、アイデアも絵のタッチも子どもらしくないと酷評された」のです。

それでもめげることはなく、

ストーリーに自信をもっていたのです。

そこに、貸本漫画という、雑誌ではなくて単行本一冊がすべて漫画という媒体がでてきて、

自信のあるストーリー漫画を描けるようになったのです。

理容師として仕事をしながら、

「お袋の眼を盗まなければ」

という状況のなか、描きました。

「夜中に起きていることを悟られないように、電気スタンドを丹前で被って、そこに潜り込んで絵を描き続けた」

しかし、「お袋のしるところ」となってしまいます。

もうれつに反対されました。

理容の学校に通うことは従いましたが、

漫画を描くなという命令にはしたがわず、

「一年やってダメだったら諦めるという条件付きで許された」のです。

そして一年間で126ページの長編を完成させました。

日の丸文庫からでた「空気男爵」です。

貸本ブームにものり、19歳の漫画家としての船出は順調でした。

理容師から漫画家への転身が珍しいということもあり、

新聞から取材を受けたこともありました。

そして辰巳ヨシヒロや松本正彦らと一緒に「影」に執筆するようになり、

劇画ブームを巻き起こししていくのです。

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