トキワ荘の漫画家

藤子不二雄Aは新聞社のサラリーマンだった│実家のお寺と偏食の理由

85歳を超えたいまも連載をしている藤子不二雄Aこと安孫子素雄さん。

代表作はいまの30代以上なら一度はアニメで観たことにある「忍者ハットリくん」「怪物くん」「プロゴルファー猿」「魔太郎がくる!!」「笑ゥせぇるすまん」、漫画家のバイブルといわれる「まんが道」の作者です。

日本のトップ漫画家の一人である藤子不二雄Aさんは、以前はサラリーマンをしていました。

実家がお寺で、偏食ということも有名です。

藤子不二雄Aさんについて書いていきます。





藤子不二雄Aさんは富山新聞社のサラリーマンでした

藤子不二雄Aさんは漫画家として独立する前は、富山新聞社でサラリーマンを務めていました。

富山新聞社の富山県での現在のシェアは、北日本新聞、読売新聞に次いで3位です。

高校卒業後に富山新聞社入社しましたが、本人が強く希望したものではありません。

高校卒業を迎えるにあたって、藤子不二雄Aさんは迷っていました。

高校時代からコンビを組んでいた相棒である藤子・F・不二雄さんは、就職をしないで漫画一本でいく、と決意していたからです。

当時は漫画がまったく市民権を得ておらず、とても勇気のいることでした。

いまの高校生がYoutuberになる、ということより突拍子もないことです。

悩んでいた藤子不二雄Aさんのもとに、お母さんのお兄さんが訪ねてきます。

その方が富山新聞社の専務取締役だったのです。

縁故で入社しますが、2年間いた新聞社での仕事は、特技を生かして広告の原稿を漫画で書くことでした。

今の新聞広告で漫画のようなものが載ることはほとんどありませんが、当時は絵で書かれることが多かったのです。

そして政治家や著名人の顔も写真ではなく、風刺画だったのです。

学芸部に異動してからも、映画を観て記事を書く仕事をしていましたが、文章+漫画で特徴を出していました。

順風満帆に楽しく過ごしたサラリーマン生活のように思えますが、大きなミスをしてしまいます。

ラジオ欄を担当した時です。

当時はまだテレビがない時代でしたので、ラジオが日本人の生活の中心でした。

通信社から送られてくるラジオ番組の放送時間と番組名の一覧を新聞に載せる仕事ですが、一日間違えて載せてしまったのです。

富山新聞社にはその日は一日中、クレームの電話が殺到しました。

新聞の購読者数も減らすことになった大きなミスです。

安孫子さんはこの2年間のサラリーマン経験が、のちに漫画家として大きく役立っていると言っています。

藤子不二雄Aさんの実家のお寺は650年以上の歴史

実家のお寺は富山県氷見市に、いまもあります。

「光禅寺」というの曹洞宗のお寺で、650年以上の歴史があります。

藤子不二雄Aさんのお父さんは49代住職でしたが、藤子さんが小学生の時に亡くなってしまいます。

お父さんの死により寺をでることとなり、富山県高岡市に引っ越します。

転校先の小学校で後にコンビを組む藤子・F・不二雄さんと出会うのです。

特技と趣味が漫画ということと、二人とも父親がいないという境遇も同じでした。

歴史のあるお寺の息子はいわば、お坊ちゃんです。

それが突然、母子家庭となりつらい境遇だったと思います。

ただその経験がなければ、藤子・F・不二雄さんと出会うこともなく、多くの名作も生まれなかったでしょう。

運命は不思議です。

藤子不二雄Aさんの偏食はお寺の精進料理から

藤子不二雄Aさんの偏食は、さまざまなところで語られています。

偏食の原因は、お寺で過ごした幼年時代に、精進料理を食べていたことにあります。

精進料理は、動物性食品を使わずに、野菜や穀物などの植物性食品のみを使っています。

簡単に言うと、肉や魚は食べないのです。

そして藤子不二雄Aさんは、85歳を超えたいまも、肉と野菜が食べられないのです。

有名なエピソードがあります。

漫画家として独立して東京に上京した後、手塚治虫さんにうなぎをご馳走になったことがありました。

神と崇める手塚治虫さんに薦められて、食べられないと断るわけにはいきません。

意を決して、人生で初めてうなぎを一口食べた途端、鼻血が噴き出したのです!

藤子不二雄Aさんの漫画の中で何度かこのシーンが描かれていますが、本当に鼻から噴き出したといいます。

藤子不二雄Aさんさんはこれを、違和反応と言っています。

肉や野菜を一切受け付けない体質ですが、結婚した奥様も、初めは偏食をなおそうと努めました。

本人に分からないように、料理の中に魚や肉をまぜたのです。

よく野菜嫌いの子供に、ハンバーグの中に野菜を刻んで入れるということがありますが、それの逆です。

こういった努力むなしく、偏食はなおりませんでした。

奥様は結局、偏食の藤子不二雄Aさんのために毎日、お弁当を工夫して作り、健康を保てるように努力されたのです。

藤子不二雄Aさんがいまも連載を持てているということは、奥様のおかげなのです。

まとめ

・藤子不二雄Aさんが勤めていたのは富山新聞社

・新聞社では特技の漫画をいかした仕事をしていた

・新聞社で大きなミスもあったが、漫画を描くうえでも大きな経験だった

・実家のお寺は650年を超える名刹

・偏食は精進料理を食べていたから