トキワ荘の漫画家

手塚治虫 デビュー当時のライバルー伝説の漫画家 田川紀久雄とは

田川紀久雄といっても、名前を知らない人が多いと思います。

手塚治虫にして「天才」と言わせた漫画家です。

私も最近、田川紀久雄という名前を知り、資料を探しました。





「戦後SFマンガ史」(筑摩書房)や「マンガの教科書」(臨川書店)「手塚治虫全史」(秋田書店)に名前が出てきますが、どのような作家だったのかは書かれていません。

現在、手に入れられる本で田川紀久雄について詳細に書かれていたのは、「まんだらけZENBU」の52号です。

デビューは1947年(昭和22)12月。

手塚治虫の長編マンガデビューは同年の1月の「新宝島」ですので、同じ年となります。(4コマ漫画でのデビューは「少国民新聞」(毎日新聞社)。「マァチャンの日記帳」を1946年(昭和21)1月4日~)です。

田川紀久雄はデビューから2年間で、9冊もの単行本を出版しています。

この9冊をもって、漫画の世界から名前が消えてしまっています。

同姓同名の詩人がいますが、別人です。

手塚治虫は「新宝島」のデビューから4年間で、36冊もの単行本を出していますが、田川紀久雄の9冊というのも、売れていた漫画家の証です。

しかも9冊のうち5冊は不二書房、3冊は中矢書房という、手塚治虫も出している当時、有名な出版社です。

ここに作品名と出版社を一覧にします。

1作目「海底魔王」中矢書房、昭和22年12月
2作目「飛行星」中矢書房、昭和23年2月1日
3作目「幽霊船」中矢書房、昭和23年3月20日
4作目「人造人間」不二書房、昭和23年9月15日
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9作目「恐竜世界」関西図書出版、昭和24年12月

5~8作目については、順番がわかりません。

すべて不二書房からで「幽霊博士」(昭和24年1月20日)「地球最後の日」「暗黒星」「怪星襲来」というタイトルです。(「怪星襲来」は東宝漫画出版社?)

手塚治虫がイラストを描いた広告があります。

手塚治虫の作品と並んでいるところに、当時の人気ぶりがうかがえます。

「幽霊博士」について「まんだらけZENBU」52号でこう書かれています。

「「幽霊博士」は田川の代表作であることはもちろん、昭和24年のすべての漫画の代表作の一つといっても言い過ぎではないだろう。」

同書には、「幽霊博士」は5,000部出版されていて「その頃としては多い方」と描かれています。

当時の漫画の発行部数は正確な資料がありませんが、「新宝島」の原作・構成を手掛けた酒井七馬の「タコの行水」は20,000部という資料もあります。

田川は結局、精神を病んでしまい10作目を描くことなく、漫画の世界から消えてしまいます。

田川紀久雄の生年月日の資料は見つかっていませんが、手塚治虫がファンにあてた手紙に記述があります。まんだらのオークションに出品された手紙です。

昭和24年11月にだした手紙で、「少年漫画同盟」というグループを手塚がつくり、そのメンバーに田川紀久夫(「雄」ではなく「夫」で書かれています)。

田川紀久夫の名前の横に「十七才」とあります。

昭和24年に17才だと、生まれは昭和7年(1932)です。

ここには漫画家の東浦美津夫の名前がメンバーとしてあり、「十九才」とあります。

東浦美津夫の生年月日は昭和5年(1930)6月3日ですので、田川紀久雄の青年も大きなずれはないでしょう。

他にも資料を見つけましたら、ブログにのせていきます。





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