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手塚治虫の「凄さ」「人柄」「影響力」がわかる漫画を紹介

手塚治虫さんが亡くなったのは1989年2月9日、平成元年です。

30年以上経った令和の現在も、手塚治虫さんにまつわる本は出版され続けています。

2020年3月に発売した雑誌の「Pen+(ペン・プラス)」でも特集されています。

2020年4月発売の「サライ」でも特集され、手塚治虫さんが19歳の時に描いて出版された「地底国の怪人」が付録でついています。




令和になって手塚治虫さんのファンとなった人も、たくさんいるでしょう。

「ドラえもん」の作者である藤子・F・不二雄さんが、手塚治虫さんのことを、こう語っています。

日本が世界に誇る漫画大国となり、海外では漫画文化が日本ほど発達していないことに対してです。

「日本には手塚治虫がいて、外国にはいなかった」

手塚治虫さんが「天才」であり、いかに「人間味溢れる」人だったか。

そして編集者との楽しい攻防(傍から見れば)について描かれているものを紹介していきます。

「ブラック・ジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から~」全5巻

一気読みできます!

手塚治虫のかっこいい面ではなく、「わがまま」なところが描かれています。

原稿の出来を待っている編集者に対し、

 「夜中にチョコレートを買いに行かせる」(コンビニのない時代です)
 「夜中にメロンを食べたいと駄々をこねる」(編集者は銀座のクラブに行き、分けてもらいました笑)
 「スリッパがないと描けない!」と謎の主張をして困らせる

他人からしたら笑い話で楽しく読めますが、編集者は本当に困っていました。

手塚治虫さんが締め切りを過ぎても原稿を描き終えないことから、編集者からは「うそ虫」や「おそ虫」と陰口を叩かれていたことも描かれています。

などなどです。

「TVアニメ創作秘話~手塚治虫とアニメを作った若者たち」全1巻

テレビでは毎日、アニメが放映されています。

日本のテレビで初めて、毎週の30分間のアニメを作ったのが手塚治虫さんなのです。

アニメ「鉄腕アトム」は1963年に放送が開始しました。

アニメを毎週放送するということは、不可能と思われていました

それをどう可能にしていったのか?

激動のアニメーション開発秘話が描かれています。

「虫プロダクション」というアニメ制作会社を自身で設立しますが、倒産させてしまっていもいます。

漫画とアニメをどうやって両立させていたのか、格闘の人生に触れてみてください。

「まんが道」全25巻、藤子不二雄A

藤子不二雄Aさんの自伝です。

漫画家を目指したことのある人なら、誰もが読んでいると言っては過言ではない漫画です。

手塚治虫さんが主役で描かれているわけではありません。

それでもここで紹介したいのには理由があります。

手塚治虫さんがいなければ、藤子不二雄の二人は漫画家を目指していなかったのです。

戦後は、漫画を読んでいるのは恥ずかしいという風潮でした。

漫画を二人で描いていた藤子不二雄の安孫子さんと藤本さんも、中学生になり漫画離れしたことがあります。

そこで出会ったのが手塚治虫さんの「新宝島」という作品です。

今までの漫画の概念を吹き飛ばす手法で描かれていて、一気に漫画の世界に引き戻されたのです。

そして「新宝島」や手塚作品に衝撃を受けて漫画家を目指したのは、藤子不二雄さんだけではありません。

トキワ荘で一緒にすごした石ノ森章太郎さん、赤塚不二夫さんもなのです。

「まんが道」では、手塚治虫さんが他の漫画家にどれだけの影響を与えていたのかがわかるのです。

まとめ

手塚治虫さんにまつわるエピソードは、漫画や本が数えきれないほど出版されています。

今回はその中でも、読みやすいものを集めました。

特に「まんが道」は、漫画ファンのバイブルです。

ぜひご覧になってください。

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