トキワ荘の漫画家

手塚治虫がディズニーより尊敬していた中国人映画監督について

手塚治虫さんといえばウォルト・ディズニーのファンで有名です。

映画「バンビ」が公開されたのは1951(昭和26)年、手塚治虫さんが22歳の時です。

すでに漫画家デビューしていて「ジャングル大帝」の連載もしていた、忙しい時代です。

そのさなか、なんと100回以上「バンビ」をみたというのです」

「全部で何回見たかおぼえていませんが、

あとでまた見たのも合わせると

百二、三十回も見たと思います。」

と、「ボクのまんが記」で描いています。





ウォルト・ディズニーへの想いは、「ブラック・ジャック創作秘話」5巻に描かれています。

「私のディズニーへの思い入れは、

私の絵を見ていただければ、

それでもういまさら述べる必要もない。」

と、自分の絵柄がディズニーの影響を受けていることを語っています。

同書のなかで、「鉄扇公主」(てっせんこうしゅ)という映画について書かれています。

中国のアニメ映画です。

1940(昭和15)年に制作され、日本公開は2年後です。

「中国の古典『西遊記』をもとに万籟鳴(ウォン・ライミン)・万古蟾(ウォン・グチャン)の兄弟が制作したアジア初の長編アニメーション」

手塚治虫さんは中学生の時に、夢中で観たといいます。

「鉄扇公主」について、こう言っています。

「たしかにディズニーは素晴らしい…

でも漫画映画はディズニーだけじゃない…

僕はこんな気がするんです

子供の頃の僕はディズニーから夢をもらい

この作品からは…なんていうか…そう…

勇気をもらいましたね!!

アジア人でもこんなすごい漫画映画を創れるんだ

じゃあ自分でも出来るんじゃないかって!!」

ウォルト・ディズニーへの憧れとはちがった想いを、万兄弟に抱いていたのです。

手塚プロダクションの松谷孝征社長が、手塚治虫さんの万兄弟への想いを「手塚治虫氏と『孫悟空』」という文章で語っています。

「1988年、手塚氏は訪中し、すでに古希を迎えていた万籟鳴氏を訪ねた。」

手塚治虫さんは自らが団長となった「日本アニメーション作家協会」の旅行で、中国に行ったのです。

松谷社長はこう続けています。

「万籟鳴先生は手塚先生が最も愛し、尊敬した方です。手塚先生はディズニーの影響を受けていると多くの人が認識していますが、実際は中国アニメ、とりわけ万先生の影響を受けており、その時期はディズニーよりも早く、影響も深い」

手塚治虫さんが万兄弟に会ったシーンは、「ブラックジャック創作秘話」5巻に描かれています。

ぜひ読んでみてください!

手塚治虫は憧れのウォルト・ディズニーに会っていた~その時の会話手塚治虫さんがウォルト・ディズニーの 影響を受けていたことは、 よく知られていている話です。 ディズニーの「バンビ」に...
手塚治虫の肉声で聴ける「私の自叙伝」が無料!手塚治虫さんが自身について書いている本は たくさんあります。 本人自ら、肉声で語っているものを 聴けることはとても貴重...
マンガや雑誌に漫画家の自宅住所が載っていたー手塚治虫さんの住所の実物写真も昔はマンガ本や雑誌に 漫画家の自宅の住所が載っていました。 正確な時期は定かではないですが、 昭和50年代ごろまではあ...





COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。