トキワ荘の漫画家

トキワ荘に入居していた漫画家メンバーの生存者は?早死にの理由も

藤子不二雄Aさんの「まんが道」で有名になり、漫画家の梁山泊として知られたトキワ荘。

多くの有名漫画家がトキワ荘から巣立っています。

主な漫画家たちがトキワ荘に住んでいたのは、1953年(昭和28)~1962年(昭和37)です。

ほとんどの漫画家が有名になり名作を残しましたが、早くに亡くなってしまった方も多いです。

いまも生きている漫画家は誰なのか?

早死にしてしまった理由も書いていきます。

トキワ荘に入居していた漫画家メンバー一覧と生存者

トキワ荘に入居していた漫画家は12名です。

トキワ荘に最初に入居したのは神様・手塚治虫さんです。

次に若くして筆を折った寺田ヒロオさん。

手塚治虫さんがトキワ荘を出て行ったあとの部屋に入ったのが、藤子不二雄のふたりです。

向さすけは入居年代がずれているので考えないことにして、向さん以外の11名中、6名が鬼籍に入られています。

6名のうち、赤塚不二夫さんを除く5名が60代前半で亡くなっています。

男性の平均寿命が81歳の現在、あまりにも早くて残念です。

トキワ荘の生存者、藤子不二雄Aさん

ご尊名の藤子不二雄Aさんは85歳を超えた現在も、連載を持っています。

一年間に5回(2月・5月・7月・9月・11月の17日)発売の「ビッグコミック増刊号」に、西原理恵子さんと一緒に「人生ことわざ面白”漫”辞典」を連載しているのです。

この連載は藤子不二雄Aさんが「ことわざ」を言い、そこに西原理恵子さんが漫画を描くものです。

漫画の連載ではありませんが、85歳で連載をやっていることは驚異的です。

トキワ荘の生存者、鈴木伸一さん

鈴木伸一さんは「ラーメン大好き小池さん」のモデルです。

トキワ荘では、森安なおやさんとの共同生活が有名でした。

風太朗(ふうたろう、かぜた あきら)のペンネームで漫画を描いていました、アニメーションの道に進みます。

トキワ荘を退去して横山隆一さん率いる「おとぎプロ」にアニメーターとして入社しました。

アニメーターとなってからもトキワ荘のメンバーとは関係が続きました。

スタジオ・ゼロというアニメーションの制作会社を一緒に設立したのです。

スタジオ・ゼロのメンバーは鈴木伸一さん、藤子・F・不二雄さん、藤子不二雄Aさん、石森章太郎さん、赤塚不二夫さん、つのだじろうさん、角田喜代一さん(つのだじろうさんの兄)です。

制作したテレビアニメは「鉄腕アトム」「おそ松くん」「パーマン」「怪物くん」などです。

スタジオ・ゼロは1963年に設立し、1971年に解散してしました。

鈴木伸一さんは現在、杉並アニメーションミュージアムの館長として活躍されています。

トキワ荘の生存者、よこたとくおさん

よこたとくおさんは活躍の舞台を学習漫画にうつし、「学研まんがひみつシリーズ」などを執筆していました。

単行本が最後に出たのが2013年6月の「からだのひみつ」(学研まんが大人のひみつシリーズ)が最後です。

トキワ荘の生存者、水野英子さん

水野英子さんは、トキワ荘に住んだ唯一の女性漫画家です。

女性版・手塚治虫と呼ばれることもあり、萩尾望都さんや竹宮惠子さんも水野英子さんから影響を受けたといっています。

2010年に日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞しています。

水野英子さんは現在は連載作品はなく、単行本の「オペラへご招待!魅力の名作オペラ10選」(水野英子/画 青島広志/文)(学研プラス)が2012年7月に発売されています。

トキワ荘の生存者、山内ジョージさん

山内ジョージさんは最後のトキワ荘の漫画家の住人として有名です。(厳密にいえば向さすけさんなのですが、年代が大きく違うので)

著書に「トキワ荘最後の住人の記録 若きマンガ家たちの青春物語」(東京書籍)があります。

山内ジョージさんは石森章太郎さんや赤塚不二夫さんのアシスタントをしていました。

有名になったのは「動物文字」です。

フジテレビ系の「ひらけ!ポンキッキ」で動物文字のアニメを担当しました。

2010年にはテレビ朝日系の「徹子の部屋」にも単独で出演しています。

直近の著作は「目と耳で覚える漢字絵図鑑」(六耀社)を共著で2017年に出版しています。

個展も開催し、精力的に活躍されています。

トキワ荘の漫画家の早死にの理由は

天寿を全うし93歳で亡くなられた漫画家の水木しげるさんは、こう言っています。

「週刊誌は、大変ですよ。やっぱり週刊誌をやっていると、命が縮まるんじゃないですか。手塚さんにしても石ノ森さんにしても、週刊誌を一生懸命やっていたから、早死にしたんじゃないですかね。

石ノ森さんはどこかで会うと 必ずこうやって(2本指を立てる)見せるんです。 何の事かというと「2日間、徹夜した」というのが自慢なわけですよ

眠りを軽蔑したりいじめたりするのは、いかんです。私は子供の頃から、眠るのが好きだったから、だから良かったんです」

水木しげるさんは、徹夜は最高でも一日のみだったようです。

毎日10時間は眠っていたとも言っています。

藤子不二雄Aさんの「まんが道」で徹夜の場面がよく出てきます。

売れっ子の漫画かは「カンヅメ」といって旅館に泊まらされ、原稿が仕上がるまで編集者が逃がしてくれません。

連載を何本も持っていると、何人もの編集者が漫画家を見張っているのです。

2徹、3徹は当たり前でした。

藤子不二雄の二人は、机を並べて仕事をしているので、ひとりが眠りそうになると、ペンで刺して起こしあったといいます。

いくら若いとはいえ、肉体的に過酷で、精神的なプレッシャーも並大抵ではありません。

締め切りを守ることができなければ、仕事をもらえなくなってしまい、廃業の危機に直面するのです。

トキワ荘時代のはじめは、週刊誌まだありませんでした。

月刊誌であれば月一回の連載で、今の週刊誌より楽だと思われるかもしれませんが、各出版社はしのぎを削っていました。

通常の月刊誌に加え、別冊付録をつけていたのです。

そして、一人の漫画家に64ページや100ページ超の作品をオーダーするのです。

週刊の漫画雑誌は講談社のマガジンと、小学館のサンデーが同時に、1959年に創刊しました。

現代の漫画と当時の漫画は、絵や背景の緻密さなどが違い、一概に比較はできません。

それでも、現代の漫画家は週刊誌の連載1本という方がほとんどです。

週にして20ページ前後の連載量です。

早逝した手塚治虫さんや石ノ森章太郎さんは、月に400ページ以上描いていたといいます・・・

第一線で活躍されていてご存命なのは、藤子不二雄Aさんです。

仕事も遊びも大好きで、連載を何本も抱えている状況で飲みにも行き、ゴルフもしていました。

ご本人曰く、長生きの理由は「精進料理」にあります。

藤子不二雄Aさんの実家はお寺で、子どものころから精進料理を食べていたこともあり、今でも肉や魚を食べることができないのです。

手塚治虫さんと石ノ森章太郎さんが60歳。

寺田ヒロオさんは61歳。

藤子・F・不二雄さんは62歳。

長生きされていれば、どういった作品を残してくれただろうと考えると、とても悲しくなります。

まとめ

・トキワ荘メンバー11名中、6名が亡くなっている

・6名のうち、赤塚不二夫さんを除く5名が60代前半で亡くなっている

・早逝の理由は、締め切りを守るための徹夜